透明な光4

「君」はよく泣いた、そして笑った。

 

『全ての感情は、根源を共にする。喜びは悲しみを内包する、悲しみは喜びを持っている。絶望するからこそ、希望を感じることができるように。』

 

世界は美しいと言って、健気に笑うことができたら。僕は失うことを恐れた。眼前、広がる荒野に呆然とするばかりで。

 

日々は流転、横転、転げ落ちた未来。排水溝の上で干からびたそれを、誰か拾ってくれないか。抱きしめてくれないか。

 

出会いと別れ、重みは等しく、ただ引き裂かれる。幾星霜、何度繰り返せど、重さは変わらず、飽きもせず泣き笑う。その堆積を人生と呼んで、せめてもの慰めを、救いを。

 

そして僕は僕の孤独を代償に、「君」は「君」の孤独を代償として。

 

流れる時に祈りを

過ぎゆく昨日に餞を

枯れゆく季節に光と陰を

出会いと別れに涙と奇跡を

 

 

さよなら、僕らは笑いながら泣いた。

透明な光3

雪が降った。しんしんと。たった一粒、手のひらに冷たさ残して消えた。

雪が光った。キラキラと。たった一粒、手のひらに冷たさ残して消えた。

 

長い旅の果ては、案外くだらないものかもしれない。駅のホームは多くの人で埋め尽くされていたけれど、その集合の正確な重さを計ることはできなかった。一粒の雪、一粒の命、その重さ。

 

小さな雪の粒は降り積もって景色を変えた。日々は積み重なって、いつしか年月となった。

 

暗雲、祈り、立ち止まれば、許されるか。足は重く、肺は冷えていた。向かうか、逃げるか。明日と昨日は今日とは別人のように振る舞う。

 

息を吐く、白く輝く、魂、エネルギー、思想、神はあっけなく霧散。青白く輝いて美しいと思った。

 

雪を蓄えた街路樹、真っ白な桜の木、いつかの春、2人は世界の中心にいた。風に吹かれ、川に落ちた花、幾つもの流れ。僕は『悲しい』と言った。「君」は笑っていた。

 

移ろう季節の真ん中、何もかもが刹那的に感じた、それに火をつけて燃やす、一瞬の昇華、時間は瞬くような美へ。全てを理解することは能わずとも、全てを感じることはできた。

 

世界の中心は、世界の果てと繋がっていた。

 

降り積もる雪よ、全てを包み隠してくれないか。日々の憂鬱、希望、絶望、感じたくなかったもの、喜び、悲しみ、考えたくなかったこと。過去と未来。心までも真っ白に染まる。

 

 

透明な光2

無機質なビルが痛々しく突き刺さり、その狭間に埋められた種子。あれは悲しみだ。日陰に育つ、人が生きるという感情の再生産。皆がこぞって水をやるから、花が咲いた。とても綺麗に。

 

流した涙が、流した血が落ちて、そこに芽吹いた感情を愛と名付けた。彼女は花を売る。砕いた心に贖うこともせずに。

 

『この痛みも、悲しみも、きっと愛だから』

 

空白を言葉にして。都市の山影に消える、その目に、その心に、映るもの、架かるもの、もはや知る由もない。

 

夕陽が全てを染める。人、街、世界、全ての積み上げられた罪が、等しく染まる。それがあまりにも唯物的で、そんな愛すらも許せる気がした。

 

全てが赤に染まった

物と命、空と海と大地、善と悪、希望と絶望、生と死、全ての始まりも、全ての終わりも、何もかもが真っ赤になった世界で、僕は「君」だけを見ていたかった。

 

虚しさと寂しさを混ぜ合わせたような色、人々は我先にと宙へ到達しようとする。星々の冷笑、地球、僕たちの苦悩。世界を舞台とした壮大な悲劇に、幕を下ろす。

 

 

 

透明な光 1

射し込んだ光で居場所はなくなった。暗闇が僕にとっての光だった。埃の舞う部屋に現れた階段は、天国への階段か、ヴィア・ドロローサか。世界のどこかで、何かが終わる音。

 

乾いた喉に、唾を飲む音は感傷的な響き、不規則に反射した。それだけだった。

 

一息、瞬く間に虚無へ、空虚へ。明暗は溶け合う。積み重なって、折り重なって、いつしか境目は消える。そのとき、ひどく曖昧な存在は、どのように定義されていた。

 

今年の夏はひどく暑かった。

 

ゆっくりと、グロテスクに、アスファルトから立ち上る熱気は、景色を歪む。足音、動悸、蝉の声、信号機、世界は、どうしようもない現実の大合唱を奏でた。よく響く、ありふれた、どこにも存在しないような言葉で。

 

大きな、大きな水たまりが消えた。蒸発した、跡形もなく。梅雨は長かったが、一瞬だった。地面は黒々として、その存在を主張する。忘れてしまえば、それだけのこと。時間は何かを記憶することがあるのだろうか。

 

蜃気楼に、陽炎に、いつかの過去に。迷った先に、中身のない入れ物。「君」との記憶の残骸。俯瞰の三人称視点でも、時は流る。そこに色は写らずとも。

 

傾いた世界、西陽はその光線を衰えさせず、穿たれた僕と、昨日と、水たまり。きっかけはきっとなんでもよかった。

 

誰かの悲鳴が聞こえたから

生きることに絶望したから

空っぽの夜空に星が浮かぶから

「君」が僕を呼んだから

 

 

 

夏夜

雨の降る夜に傘もささず歩き回ると、自分と自然が一体化したような気分になった。

ずっと昔の時代からこの惑星を循環し続ける水と、そこに染み付いた世界の記憶、その重さが皮膚を通して身体の内側に入り込んでくる。自分が自分でなくなるような感覚。全てに溶け込めているような錯覚。大きな宇宙と限りなく続くような時の流れ、そのほんの一部でしかないことを実感することが好きだった。

いつだってここは過渡期だ。誰かにとっての終わりが誰かにとっての始まりであるということ、たった今なくなった命と生まれた命の連続性、運命という言葉の脆弱性を希望に置き換えることに全力を注いでいる。その作業に慣れた頃にはとっくに、全てがどうでもよくなってしまうのか。

何もしなくても腹は減るし、食べなければ生きられない。重たい体を起こして外に出る。土砂降りの雨は大きな水たまりの生成に忙しそうだ。夜道の足元は暗然としていて覚束無いから、バシャバシャと大きな音を立てながら僕は進む。その度に砕ける水しぶきが僕にとっては世界の全てだったり、君にとってはただの現象だったり。僕らが互いを知ることは難しいし、疲れる。大きな水溜まりと僕は少しでも分かり合えたのだろうか、降る雨は平等に僕と世界とを濡らしてくれているけれど。

世界の広さを知ることは自分の小ささを知ることだ。幼さを知ることだ。嵐の海に生まれた、波紋のたった一つを知ることだ。僕の指先にすら宿る宇宙を知ることだ。夏の終わりはすぐそこに見えていた。

滲出

あなたが涙を流した時に、私は綺麗だと思ってしまうかもしれない。

一雫の中に納めてしまうにはあまりにも大きすぎる感情に、憧憬を抱いてしまう。

あなたが血を流した時に、私は美しいと思ってしまうかもしれない。

鮮烈な赤が染み込んだその身体を想像して、どこか恐ろしくなってしまう。

あなたが心を流した時に、私は残酷だと思ってしまうかもしれない。

一人一人に与えられた運命の、その行く末を想像してしまう。

あなたが命を流した時に、私は涙を流してしまうかもしれない。

その時には、悲しみ以外の感情も抱いていたい。かつてあなたがそうだったように。

記憶

感情も感傷も、きっと一瞬で消え去っていく。僕は時々寂しさを感じる。あんなに楽しかったことも、あんなに笑いあったことも、きっと忘れてしまう。

 

何度も同じようなことを繰り返した。その度に僕は心から喜び、悲しみ、涙を流した。何度も、何度も繰り返した、この先もきっと。

 

時々昔のことを思い出す。昔も今も変わらないものがある、その事が嬉しかった。確かに変化していることがある、それが僕の歩いた軌跡だった。これから歩む道に、進む時間に何かを求めているわけじゃない。ただ僕は、歩き続ける。

 

どこまで行っても僕は僕だった。積み重ねた出会いと別れが僕を作った。時間の堆積、数々の流転を目前に、代わり映えなく佇む雲があった。僕ら、真夜中の公園で、光る街灯の下に集まっていた幾つもの過去と未来だった。

 

感情も感傷も、きっと一瞬で消え去っていく。僕は時々寂しさを感じる。幾星霜の先で、何もかもを忘れ去った後に、この身体に残る何かをずっと探している。