夏夜

雨の降る夜に傘もささず歩き回ると、自分と自然が一体化したような気分になった。

ずっと昔の時代からこの惑星を循環し続ける水と、そこに染み付いた世界の記憶、その重さが皮膚を通して身体の内側に入り込んでくる。自分が自分でなくなるような感覚。全てに溶け込めているような錯覚。大きな宇宙と限りなく続くような時の流れ、そのほんの一部でしかないことを実感することが好きだった。

いつだってここは過渡期だ。誰かにとっての終わりが誰かにとっての始まりであるということ、たった今なくなった命と生まれた命の連続性、運命という言葉の脆弱性を希望に置き換えることに全力を注いでいる。その作業に慣れた頃にはとっくに、全てがどうでもよくなってしまうのか。

何もしなくても腹は減るし、食べなければ生きられない。重たい体を起こして外に出る。土砂降りの雨は大きな水たまりの生成に忙しそうだ。夜道の足元は暗然としていて覚束無いから、バシャバシャと大きな音を立てながら僕は進む。その度に砕ける水しぶきが僕にとっては世界の全てだったり、君にとってはただの現象だったり。僕らが互いを知ることは難しいし、疲れる。大きな水溜まりと僕は少しでも分かり合えたのだろうか、降る雨は平等に僕と世界とを濡らしてくれているけれど。

世界の広さを知ることは自分の小ささを知ることだ。幼さを知ることだ。嵐の海に生まれた、波紋のたった一つを知ることだ。僕の指先にすら宿る宇宙を知ることだ。夏の終わりはすぐそこに見えていた。